信心

たまたま通りかかった公園端の道。

公園の柵に向かって熱心に手を合わせている小柄なおばあさんがいる。

おばあさんの側にはカートがあって、足腰は弱っているのだろうが、それでも背筋を伸ばして拝んでいる姿勢はなかなか立派である。

立派であるがゆえ、おばあさんとおばあさんが信仰するサムシングを隔てる柵が気になってしょうがない。

なんとなく公園だと思っていたが、神社か何かだろうか。

でもなんでこんなところで拝んでるの? とか思いながら、すれ違う際におばあさんの拝む先を見ると、その先には百葉箱がある。

息を飲み、思わず立ち止まる。


このおばあさんは、百葉箱を祠と勘違いしているのだろうか。

おばあさんとサムシングの間にたまたま百葉箱があるだけ、ということかもしれない。

あるいは本気で百葉箱を信仰している可能性もある。

または百葉箱にカモフラージュされた宗教的な何かなのかもしれない。

もしかしてだけど、おばあさんと百葉箱の間に因縁があるのかもしれない。

彼女の夫が戦時中に設置した云々的な。


よっぽど声をかけようか迷ったが、これは答えがない方がおもしろいフォルダーにこの案件は振り分けて、その場を歩き去る。