去年の自分からバトンを渡される

本日は3.11であり、去年の自分が何か書いたような気がすると思って確認すると、果たして、震災時のTumblrについて書け、とか言っている。

「鮮やかな文章で」という注文が入っているが、日に日に文章は雑になっている気はするので、そこに応えられないのは申し訳ないが、震災時のTumblrについて書こう。


震災後、TVを観ると気分が落ち込み、ネット、twitterを見るとキチガイと偽善で溢れてヤレヤレという気持ちになっていたが、唯一、tumblrからは淡々と肌色が流れ込んできて安心できた こいつらボンクラは信頼できるボンクラだ

結論から言えば、震災時のTumblrに起こっていたことはここに書いてある通りである。


Tumblrは基本的にはブログのプラットホームであるが、ネットで気になった画像・文章などをクリッピング(リブログ)する、という機能がある。

そして、他のTumblrユーザーをフォローすることができ、他のユーザーの投稿・リブログを自分の「ダッシュボード」で閲覧することができる。

ダッシュボードには、他人の興味がどんどん流れてくるし、自分が興味あることをダッシュボードに流すこともできる。


震災発生時、テレビもラジオもネットも何もかも非常事態で、事態が事態だけに沈鬱したムードが日本中を覆っていた。

それは当然のことであるが、唯一Tumblrだけがこんな時でも「日常を回す」という意思で動いていたように思う。

震災の話題のみにとらわれることなく、自粛する雰囲気もなく、「普段通り」に肌色のエロ画像や興味深い文章が流れてくる。

それは個人的に非常に心強く思った。


もちろん今は状況が違う。

現状は正直、たまにしか震災のことを思わなくなった。

そしてTumblrは肌色が禁止事項になった。


自分の独りよがりの考えかもしれないが、物事は自分の足元からしか変わらないと思っている。

なので、世の中がどんな非常時でも、自分なりの平常を全力で維持するべき、という考えを持っている。

そのことをこの時に学んだ。