折に触れ、震災のことを思い出すことはある。
でもその頻度は年を追うごとに落ちている。
今では3月11日と年に数回程度という感じだろうか。
ただ、自分はそれでいいと思っている。
結局のところ、物事は足元からしか変わらないと思っていて、日常を普段通りに回す努力が自分にできる精一杯のところである。
世間が変われば自分の日常が変わる。
それに乗るのか抗うのか、個人の選択の連続、そして他人の選択の連続、その総体が社会なんだと思う。
自分はすでに3/11の影響は十分に受けていて、確実に生活や考え方は変わった。
それが定着したものもあれば、廃れていったものもある。
そして3/11自体のことは忘れていく。
それでいい。
自己正当化と言われればその通りであるが、自分はそう信じている。