ホテルローヤルを観る

『ホテルローヤル』公式サイト|2020年11月13日(金)公開

劇場で予告編を見、単純に面白そうなシチュエーションだし、「そう言えば波瑠をガッツリ観たことがない」ということに気がつき、観に行くことにする。


公開日初日のレイトショーで観たのだが、劇場に入ると、今年1番に人がいない。

あまりにいないんで、上映が終わった後で出口に向かう人を数えるが、自分を含め7人である。

世間的にこの映画はこんなに希求力がないのか、と愕然としてしまう。


映画を観ていて、「悪い意味で小説をそのまま映画にした」感じがする。

原作の小説は未読であるが、「これはオムニバスなんだろうな」と思っていたが、帰りの電車でAmazonで作品の概要を確認してみると、果たしてそうであった。

ホテルの経営者一家、従業員、ホテルを訪れる客、それぞれのエピソードが散発的に語られ、1つの物語として積み上がっていかない。

しかも出来事を表層的になぞるだけなので、登場人物の誰にも感情移入できない。

もっと言えば、冒頭の廃墟とか余貴美子の件とか、映画的にこのエピソードいる? という部分があり、ホテルローヤル開業の件など、エピソードを語る順番おかしくない? という部分もあり、もっと語りようがあったんじゃないと思う。


とにかくこの映画は、主たるテーマであるはずの波瑠演じる雅代の心境の変化が伝わってこない。

ホテルをつごうと思った理由もぼんやりしているし、松山ケンイチ演じる宮川とのクライマックスもどうしてそんな心境になるのかよくわからない。

雅代は狂言回し的な立場で、周りからの影響で雅代が変わっていく、というイニシエーションの話だと思うが、起こったことが淡々と描かれるだけであり、雅代も感情を表に出さないので、面白みを感じない。

その意味でやはり「悪い意味で小説をそのまま映画にした」感があり、小説であれば文章で内面を描くことができるが、少なくともこの映画からは雅代の成長を推し量ることができない。


役者の演技がどう、とかいう問題ではなく、この映画の構造的な欠陥だと思う。

小説を読んでいれば、また違った見方ができるのだと思うが、少なくとも映画の出来はあまり良くないと思う。