ランニング・マンを観る

映画『ランニング・マン』公式サイト

今日は日曜日で、毎月1日の「映画の日」だということに気がつき、映画を観に行くことにする。

プログラムを見て、最初は閃光のハサウェイを観に行くつもりだったが、席がかなり埋まっている。

快適に観られそうにないので、「ランニング・マン」に変更する。

「ランニング・マン」といえば、ゴールデン洋画劇場や日曜洋画劇場などで何度も繰り返し観た、シュワちゃんの「バトルランナー」の原作である。

幼心に刷り込まれたバトルランナーは、やはりかなり好きな映画なので、「ある意味でのリメイク」という部分に惹かれ、選択した次第である。


個人的には「全くバトルランナーではない」とは思ったが、それとは別に「これはこれで面白い」という感想に至る。

自分は原作の小説は未読で、後になって調べてみたところ、ランニング・マンは原作にかなり寄せた話であることがわかる。

なんとなく「バトルランナーが原作と離れている」ということは知っていたのだが、この映画を観た後だと、「そんなに変えていたのか」という印象が否めない。

今の時代、バトルランナーの話をそのまま映像だけ作り替えたとしたら、流石に荒唐無稽すぎるかもしれない。

現代性を出す意味合いで原作に立ち返ったというのは、メタな視点ですごく面白い。

現代人が持つメディア観なども巧妙に織り込まれていて、それが原作の大筋を壊さずに表現されている脚本も巧みだと思う。

特に関心したのはWokeな部分の扱いで、この映画の上っ面だけ見れば「結構Woke感があるな」というキャスティングやストーリーだと思ってしまう。

けど、物語として、「ディストピア世界で人種差別やLGBT差別などが払拭されており、しかも本当に平等に扱われている」という構造は新鮮である。

これもすごく現代的な感性があって良い。


でもだからこそ、バトルランナーとの比較になってしまうが、カタルシスという面ではバトルランナーには及ばないな、と感じる。

やはり、主人公のベンが番組に復讐を果たすという部分で、ランニング・マンの方は少し淡白に描きすぎている気がする。

それにバトルランナーのハンターたちはさまざまな個性があり、それも楽しかった要素の一つだ。

ファイアーボールに関しては今作でも類する描写があり、そこはすごく良かったが、個人的には「今の技術でダイナモが見たかった」というのが正直なところだ。

バトルランナーのハンターたちは大体みっともなく死ぬ。

それがカタルシスにつながるのだが、ダイナモのみっともなさはぶっちぎっている。

あのみっともないやられ方を、CGで見たかった。


正直、ストーリーも演出もアクションも大味な部分はあるが、それでも現代的なアップデートはできていると思う。

CGやデザインの部分は程よい未来感があって、ハッとするような驚きはないものの、納得感は強い。

その点では、非常に手堅い作りになっている。


繰り返しになるが、これはこれで面白かった。

しかしこれとは別に、現代的な技術で描かれた「コテコテのバトルランナー」も観てみたい、という気分になっている。