アイアンハートを全話見終わる。
まあ、1話を見た段階で、結構散々な評価を下していたわけであるが、最終話を見て、リリが全く変わらずに終わり、逆にびっくりする。
最後まで自己中で、己の非を省みることなく、自分は悪くないを貫き、最終的には友人のナタリーを生き返らせるためにメフィストと契約を結ぶ(でいいの?)。
なんらかの成長があるものかと思っていたのだが、全くなく、結局何をしたかったの? という感じである。
もうとにかく、リリが徹頭徹尾ひどい。
ティーンということを差し引いても、許せないぐらい自己中すぎる。
リリがどれだけひどい人間かというのは、エゼキエル視点でリリを見るとよくわかる。
リリに協力するためバイオスキンを提供するが、リリが自身のミスでそれを紛失したことが原因で、エゼキエルは逮捕されてしまう。
刑務所に面会に来たリリは謝罪するどころか、何の考えもなしに「助け出す」と上から目線で言ってくる。
その時、エゼキエルは怒りを抑えながら理路整然とリリの欠点を指摘するが、その言葉はリリには届かない。
結局、エゼキエルを刑務所から救い出したのは、ヴィランであるパーカーで、彼によって人体改造を施されたエゼキエルはリリを追い詰めるが、温情をかけ、とどめは刺さない。
リリを気遣い、「街から出ろ」と忠告したにもかかわらず、リリは街に残る。
悲惨なことに、エゼキエルは改造手術の際、パーカーに決して逆らえない仕掛けを施されている。
最終的にパーカーの支配から逃れるため、身体の緊急モードを発動させるしかなく、そのトリガーとして、リリに股間を蹴られて意識を失い、その場に放置される。
それでエゼキエルの出番は終わりである。
特に最後の股間の件は、脚本に対して怒りが湧いて、これ書いたの女だろう、と思い調べたら、やはり女だった。
男を馬鹿にするにも程がある。
マジな話、この話をヒーローものでやろうとする意図が全くわからない。
しかも、MCUで最もアイコニックなキャラであるアイアンマンを受け継ぐ、と名言したキャラで、である。
自分がヒーローものに求めているのは、成長であり、最初から最後までなんの成長もなくバカで終わるとか、ヒーローもの以前に、話としてやる意味がない。
これを世に出す決定をしたマーベルは今マジでヤバい状況だと思う。
一応、いいなと思った部分もあり、今作のヴィランであるパーカーと父親の因縁のところとか、メフィストのシーンはグッときたのだが、リリとは全く関わりのないところである。
サンダーボルツ*とかデアデビルとか面白い作品も提供されているんで、判断が難しいところではあるが、ちょっとこの状況は改善してほしい。