なんというか近年のMCUは映画として微妙な作品が続いており、そこまで期待しているわけではない。
ただ一方でデアデビル: ボーン・アゲインが、当初作っていたものをキャンセルしてまで作り直して、あの傑作を生み出したということもあり、MCUの舵取りに関しては復調しつつあるのかもしれないという期待もある。
また、現在DCUの統括を務めるジェームス・ガンが生み出した、DCのアンチヒーローのチームアップ映画である「ザ・スーサイド・スクワッド」が自分の中で屈指の傑作なので、それとどう違うのかという部分にも興味がある。
観に行った理由は基本的には「MCUだから」であるが、まあ、そこそこ期待はして観に行く。
ザ・スーサイド・スクワッドから話を進めるが、この映画に関してはヴィランがチームを「組まされて」強制的に難題を解決「させられる」、というのが物語の骨子である。
出てくるキャラクターに協調性は皆無で、倫理観すら欠けている感じもある。
そういうチームワークだの友情だのが生まれ得ない関係性の中、対立したり、理解を示しながらミッションに挑んでいく、という部分がザ・スーサイド・スクワッドの面白さである。
サンダーボルツ*はそれとは明らかに差別化されていて、メンバーは別に悪人というわけではなく、なんらかの欠落を抱えた人間がいきがかり上共闘する、という話になっている。
今作を観る前は、CIA長官のヴァルがメンバーを集めて、なんらかのミッションに挑む、という話を想像していたのだが、ヴァル自身が挑む相手、というのは意外で面白い。
ただ、ヴァルにまとめて始末されそうになった連中が共闘する、というのは話の筋は通っているのだが、団結する理由としては少し薄く感じる。
それが急にニュー・アヴェンジャーズとか言われても、「はぁ?」とはなってしまう。
ヴァルが窮地を切り抜けるための一時凌ぎなのかと思っていたが、ファルコン&ウィンターソルジャーみたく、ラストのタイトル変更でもって、MCUとして正式にニュー・アヴェンジャーズというプレゼンをしたことで、狐に摘まれたような気持ちにはなってしまう。
今作のヴィラン(?)のセントリーにも、かなり微妙な感情を持ってしまう。
アベンジャーズ・タワーでのセントリーの「つえ〜〜〜〜〜〜wwww」感は相当で、マン・オブ・スティールのスーパーマン以来の衝撃である。
しかも見た目や言動がかなりザ・ボーイズのホームランダーで、「いや、これどう倒すの?」というワクワク感が半端なかった。
ただ、そこからは結局内面の話になっていき、まあ物語としては正しいし、そうするしかないよな、と思ったし、面白いとも思ったし、そこを描きたかったんだろうな、というのはわかるのだが、やっぱりこう、真正面から戦って倒すことを期待していたので、肩透かし感はある。
ケヴィン・ファイギには一度ジョジョ第4部の吉良吉影戦を読んでほしい。
それに「こんなバランスブレイカーがニュー・アベンジャーズに加入してどうすんの?」と思ったが、ポスクレでおいそれとセントリーが現れない理由を説明していて、MCU全体としての調整感があってちょっと冷めてしまう。
もうみんな忘れているかもしれないが、シークレット・インベージョンでガイアというチートキャラが出て、それに他する手当は何もないまま、今更セントリーで調整を入れているのは、なかなか興醒めではある。
ただ一方で、映像や演出面の出来はかなり良い。
アクションはかなり自分好みだったし、闇堕ちしたセントリーのビジュアル、クライマックスのセントリーの内面の美術や演出など、褒めたいところを上げればキリがない。
映像にCG感を感じることもなく、映画への没入感はかなり高い。
今後もこのクオリティーでやってほしいところである。
まあ、例によってMCUのリテラシーはそこそこ求められるが、この作品単独でも十分楽しめる匙加減だと思う。
ただやっぱり、Disney+のドラマの方で前振りされていたネタが結実している感じがあるので、それらを見ているか見ていないかで印象は変わるかもしれない。
タスクマスターの顛末は、最近のMCUで稀に見られる口減らし感があって、あまり印象が良くないが、一方でU.S.エージェントの活躍が見られたり、ブラック・ウィドウとかホークアイで紡がれてきたエレーナのドラマの一応の帰結があったりで、MCUとしてもドラマが進んだ感がある。
個人的には観て良かったと思う。