自分はDCのファンであり、観に行く理由はそれが全てである。
自分かねてよりDCコミックスのファンであり、アメコミの本を購入しているぐらいファンである。
そのきっかけはウォッチメンやダークナイト・リターンズで、ヒーローものと侮っていたアメコミにこんなハードな世界観の作品があるのかと衝撃を受け、以来嗜んでいる。
それ以降も、バットマンが中心であるが、DCのダークでハード雰囲気に引き寄せられて、追い続けている。
映画の方もクリストファー・ノーランのダークナイト・トリロジーや、DCEU、ジョーカー、THE BATMANなど、やはりハードな雰囲気のものが多い。
それは自分好みであり、応援はしていたのだが、結局DCEUは頓挫してしまい、ジョーカーですら2作目でコケてしまった。
そんな中、今回ジェームス・ガンが率いるDCUとして再出発をし、満を辞して公開されたのが今作である。
自分としてはDCの新作という感覚で見に行ったのだが、そんな枠に収まらず、マーベルとか仮面ライダーとか戦隊とかウルトラマンとか、あらゆるヒーローものの総体として、「本来ヒーロー物ってこうあるべきだよな」と思わされる、とんでもない作品だった。
DCのダークさとか、マジでどうでも良くなった。
物語の冒頭で、スーパーマンがアメリカの同盟国のボラビアによる、隣国ジャルハンプルへの侵攻を食い止めた、ということが経緯として語られる。
そこがこの作品の根底にあり、そこからそれがアメリカで物議を醸し、スーパーマンの苦悩が始まったり、敵役のレックス・ルーサーがスーパーマンと敵対するモチベーションが生まれたりする。
今作を自分の従来のDC感に当てはめて考えると、まずスーパーマンが進行を食い止めるかどうかの段階でまずひとドラマありそうである。
スーパーマンは進行を食い止めた際に、何が起こるかわかっているので、政治性の中でまず苦悩しそうである。
でも、今作のスーパーマンは普通に侵攻を止める。
全然止める。
なぜなら、それが正しいことだから。
侵攻で誰も死なせたくない。
それがスーパーマンの正義だから。
実際、作中でスーパーマンはどんな命も救う。
誰も見過ごさずに、全員を救おうとする。
最終的に死んでしまう人間は現れるのだが、その直前まで救おうとする。
善とは何か、どう行動すべきかに苦悩はするが、行動すること自体に対しては迷いがない。
もう本当に、ヒーローのあるべき姿、原点、それをスーパーマンで観られたことに感動する。
ミスター・テリフィックがすごく良かっただの、レックス・ルーサーがハマりすぎだっただの、クリプトが思った以上にバカだったとか、言いたいことは山ほどあるが、とにかく、見どころは、スーパーマンのあり方である。
今起きている、イスラエルになぞられて語られることも多いが、そういう社会性もきちんと盛り込まれた上で、良い意味で旧来のヒーロー観を持ち込んで、それをアップデートしてみせる。
世界と折り合いをつけることに苦悩しながらも、善をなすというヒーローの根本は変わらない。
いつの時代も。
そして男子はそこに胸を熱くさせる。
そのことを思い出させてくれる作品である。